雨続きでちょっとテンションが上がらない今日このごろ。外に出る機会も少なくなるので、気分がちょっと滅入ってきてます。
退職日が7月末で、それ以降は手続き関係やらで忙しくなるんだろうなあ、と想像しているところです。健康保険証の切り替え、国民年金の手続き、金融資産のリバランス、もしかしたら始めるライター的な仕事の準備、等々。
それが今すぐできないのが、ちょっとしんどいのですよ。時間があるのに作業が進められないというのが、どうも性格に合わない。さっさと片付けて、新しいことも始めたいのに、変に「会社員」の身分が残っているから身動きが取れない。じりじりと焦るんですよね。
数年前からあった違和感
会社を辞めたのは、「正しい選択だった(キリッ」とかそういう感覚はないです。どちらかというと、いずれ辞める日が多少早まった、というのが近い。以前は、「ここに行けば面白い人やコトに出会える」という感覚で会社に行っていたのだけれど、年々、何か違うなと思うことが増えていったように思います。
記者って、自分が知ったことを他人に伝えて「どうだ知らなかっただろう」という満足感を得る生き物だと思っています。なので、取材して掴んできた情報を話す時は、本当に楽しそうだし周りも盛り上がるのです。
ですが、それが徐々に少なくなっていって、会話自体も減っていき、「あれ? ここにいても面白くないな」と変わっていったのです。原因は様々ですが、新しい評価システムの導入、ネットの台頭による情報価値の低下、若手記者の減少、Webと紙の雑誌の同時編集による多忙さなど、業界が右肩下がりの中で余裕がなくなったんだろうと考えています。
こうした違和感は数年前からあって、尊敬していた先輩記者が「もう俺は定年も近いから、このまま逃げ切る」とか、同年代の記者が「この部署はおかしい。だからダメなんだ」とか、そういう話ばかり聞こえてくるようになりました。あまり相手にせずに流してきたのですが、完全に無視するわけにもいかず地味にHPを削られました。
カブト虫に打ち倒されるな
D.カーネギーの「道は開ける」の中に、悩みに対処する方法として「カブト虫に打ち倒されるな」という章があります。樹齢400年の巨木は、何度も落雷や雪崩、暴風雨に耐えてきたが、最後は小さなカブト虫の大群に樹皮を食い破られ、徐々に弱って倒れてしまったという話です*1
人は大きな苦難には立ち向かえるものの、日々の小さな悩みに心をやられてしまう。だから、小さな悩みにこだわらずに笑って生きていこう…とカーネギーは説いたわけです。
会社にいる間、小さな違和感は僕にとっての「カブト虫」だったような気がします。何だかしっくりこないなあ、という違和感がじわじわと意欲を削っていき、同時に「何かしなければ」という焦りを生んだように思います。ま、カブト虫に本格的に食い倒される前に、見切りをつけて辞めちゃったわけですが…。あのまま働いていたら、自分も不満を垂れ流す同僚のようになっていたかもしれません。
いまも、「何もしていない」という焦りがあるので、「ああ、カブト虫にやられてるなあ」と思いながら日々を過ごしています。ただ大きく違うのは、この状況は自分が選んで作り出したものであり、自分の意志で変えられる点ですね。不安や焦りはあっても、不満はないのです。新しく始めたいこともあるので、その時がくれば蒸発してしまうものと思って、いましばらく付き合っていこうと思っています。
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